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日下会と命名した由来
 この地は、今では堺市西区草部ですが、古事記が編纂された時代は、大鳥群日下部(くさかべ)郷と呼ばれていました。その名残として、この地の氏神様の神社は、日部(くさべ)神社といいます。
 古事記によりますと、神武天皇の東征征伐軍が、瀬戸内海から大阪湾に入って上陸したのは、「日下」であると書かれています。学説では、この地は、東大阪市の日下町ということになっていますが、日部神社の主神祭は、彦坐王で、この神様は、神武天皇の東征に際して道案内をしたといわれている神様です。
 また、江戸時代の学者、本居宣長は『古事記伝』で、「日下」について「是は河内国河内郡なる日下にあらざるべし、和泉国大鳥群に日下部郷があり、今は草部村と呼ばれているが、日下はこれなるべし。」と書いています。
 明治時代になり、草部村の先輩たちは、日下町に対して論戦を挑み負けたそうです。
その先輩たちが学説に異議を唱え、頑張った姿に敬意を称して、また当法人が、より地域社会に認めら、応援していただけるよう、法人名を「社会福祉法人 日下会」としました。

沿革

内   容
1980年 4月 池尾圭治が、私財を提供し、社会福祉法人 日下会 くさべ保育園として定員60名で開園する。池尾圭治が初代理事長
1982年 4月 池尾圭治が、くさべ保育園の園長に就任し、理事長に池尾弘久が就任する。
1986年 4月 池尾圭治が、社会福祉法人 日下会の理事長、くさべ保育園の園長に就任する。
1995年 10月 くさべ保育園、単独の遊戯室完成
1996年 4月 特別養護老人ホーム パルハウスくさべ開設、入所定員60名、くさべ保育園の園長、池尾弘久になる。
1997年 4月 くさべ保育園の定員を、30名増員し、90名になる。
1998年 4月 くさべ保育園で、定員の弾力化運用(25%増)を受け入れる。
2003年 4月 グループホーム紫苑を開園する。
2008年 9月 日下会 理事長、池尾圭治死去に伴い、池尾弘久が理事長に就任する。
2010年 4月 特別養護老人ホーム パルハウスくさべ,グループホーム紫苑を社会福祉法人 和風会へ事業譲渡する。
2011年 4月 くさべ保育園の立て替え工事完成、定員が30名増の120名になる。
2015年 4月 くさべ保育園を、幼保連携型認定こども園「こども園くさべ」にする.定員155名に変更。
2016年 3月 こども園くさべの体育館(旧遊戯室)床張り替え工事完成(大阪府産杉材使用)。
2017年 9月 こども園くさべの、0.1歳児使用、オープンデッキ改修
2020年 9月 新設園「こども園うえの」定員135名で開園
2022年 7月 こども園くさべの定員を135名に変更

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